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わからないながらに判断すること
- 2012-01-25 (水)
- essay
「間違いながらも動き続けること」に続き、震災後に考え続けていることのふたつめの話。わからないながらに判断すること、厳密に言うなら、わからないことについて判断することについてどういう姿勢をとろうかということである。
どの程度の放射能濃度なら子どもに害はないのか、地震の被害について固定資産税課でどう話せば良いのか、現在と将来を考えていま支持すべき政党はどこか、果ては住んでいるマンションの給水設備の復旧ボタンはどんなとき操作するのかまで、よくわからないまま判断しなければならないことが震災後はたくさんでてきた。これまで自分はあまりにも多くの判断を誰かに、もしくは何か(システムや組織に)預けてきてしまったのだと反省した。これからの人生は何事も自分でよく調べ判断していきたいと思った。けれども一方で、それがどう考えても不可能であることもすぐに気がついた。我々はあらゆることの専門家になることはできないし、原子力や政治のことなど、そもそも誰もわかっていないことも多い。せいぜいわかったことといえば、多くのメディアや権威、専門家ないし専門家を自称する人々は「わからない」と言わず、わかる範囲のことを並べてわかったような素振りをしがちであること。そして、それは自分にも当てはまるのだろう。そもそもわからないことについてはあまり語らないし、判断などしないほうが良いというものだ。
けれども、よく考えてみれば、大抵のことはよくわからないまま判断してきた。毎日成長する子どものことなどよくわからないし、仕事は専門外のことを一から始めて今に至るし、伊坂幸太郎の小説にあるように人生が一度きりしかないとすれば誰でも自分の人生の初心者であるのは事実だ。そのリスクを少しでも軽減するために(それだけが目的ではないにせよ)、本を読み、映画を見て、他人の話に敬意を払う。勉強不足に甘んじつつも現実はそうするしかない。
ここまでは一般論として、それでもなお実際にわからないことについて判断しなければならないことがあまりにも多くあってしばしば呆然としているのがこの10ヶ月の率直な感想である。これから本当にどうしたものかと思う。自分でよく調べ判断するというのは、自分自身の心持ちとしては正しいだろう。仕事上の要請以外でこんなに本や資料に目を通したのは久しぶりだし、NHKをこんなに見た年もないだろう。しかし、その姿勢が社会全体のルールとして正しいのか、どこかで迷っている。個人的には納得できつつ、この考え方がどこかで自己責任と競争のロジックとつながっていて、つきつめれば「自分だけが知っているのが最も有利」であることに触れそうになる気がするのだ。かといって、もう官僚や企業など大きなシステムに任せておこうとまだ思っている人がいたらそれはそれで心配になる。
ではどうすべきか。可能性があるのは、ほぼ忘れられるくらい昔ながらの答えで、ひとつは教養を身につけることだろうか、それともアートやクリエイティビティだろうか。もしそれらが、または、それらに属してきたと思う人々が、そのパラダイムそのものを可塑性のあるものとしてあつかえるのなら、もしくは、「属している/属していない」ということを越えられるのならば、可能性があるように思える。僕も一応はその世界に属している人間だろうから、だとすれば、その世界が確固たるものであるかのような素振りをすることは避けたいと思う。
こうして文章を書いてみると一本の線としてしか思考を展開できないけれど、頭の中はもっと複雑に混線している。その複雑な線を素直に認めつつ、その都度の判断という「点」を出していかなければならない。ただ、むしろ素直にまず受け止めなければならないのは、自分の右往左往する思考の線のことよりも、点としてしか見えない他者の判断の背景にある複雑な線なのではないかとも思っているのだが。
2001-2009年に書いた文章の再掲作業開始
- 2012-01-23 (月)
- info
blogを導入した当初、それまでウェブサイトにあげていた文章を再掲する作業をすることにしていたのだと2年ぶりに思い出し、2001年からなんらかの場に寄稿したもののうち、ウェブサイトにも公開していた文章を少しずつこちらに再掲していこうと思います。カテゴリは[contribution]。
今日から漸進的に試験をします
- 2012-01-23 (月)
- essay
今年度は宮城大学で「映像デザイン」という講義をやっていて、まもなく終了するところである。表現や技術が専門ではない学生にむけて映像文化について概観し、それについて彼らが自分なりに何事か語れるようになるのが目標で、学部生対象なのに2コマ続きで隔週開講というやや変則的な組み方をしている。語る対象として取り上げやすいということもあり、いわゆる「映画」を素材とすることが多いが、ミュージックビデオやインスタレーション、手術の記録まで触れている。映像文化といっても幅広いし通史的に確固たるものもないので(そして、なにより僕自身が映像はおろか芸術やデザインに関する高等教育を受けたことがないので)、概観すると言いつつも非常に限定的で偏らざるを得ない。ただ、あたりまえに触れている文化だけに、受講する学生たちにとって「この講義がなかったら見なかったな」と思うようなものを紹介し、「この講義でしかこんなことしなかったな」というワークを入れて、なにか新たな発見があることを期待している。
先日は講義もあと2回を残す回となった。実は事業計画の半分ほどを終えたあたりから試験をどうするかから悩んでいた。前年度に計画を立てる際いくつかの案は持っていたのだが、はじめて開講される講義のため受講者数が見えず、ふたを開けてみたら50名ほどいるので、レポートか最終日の筆記試験かどちらかしかないかなとあきらめていたのだ。
あきらめていた、というのは、できればどちらも避けたいと思っていたからである。かつて自分が大学生のときからずっと、大学の試験に不満があった。レポートにせよ筆記試験にせよ何が採点の基準になっているのかよくわからないし、レポートの場合、赤字が加えられたものが返ってくるわけでもなく、他の人が書いたものを読み比べることができるわけでもなく、次の機会に生かしようがない。いわゆる文系の学部で、わりと古い気質のところだったからということもあるだろう。実験で成果をだすわけでも、作品を提出するわけでもなく、結局は「この講義の単位を出すか評価するため」に行われる試験が退屈で仕方なかった。むろん、それを出題・採点する方はもっと退屈だったろう。両者が仕方なくやっている感じがいたたまれなかったのだ。
とはいえ、自分が講義をする側になり、そのことは制度上避けられないこともよくわかった。少人数の演習の場合には制作を通じて評価することもあるが、何十人もの講義だとそうもいかないので、過去には提出されたレポートの講評をかねた僕からの返答を書いたこともある(それを学生たちが読んでくれたかどうかはわからない。だれかは読んだだろう)。全員に「優」をつけるという手もあるが、それも結局は手抜きでしかない。学生にとっては短期的にはそのほうが歓迎されることではあろうが。つまり、僕は面倒な講師だ。
さて、今回はどうしたかというと、チーム戦にした。最終回のひとつ前の回(先日の回)に「今日から漸進的に試験をします」と告げ、課題となる作品群を紹介し、そのなかでひとつを選択して提出してもらったところで、同じものを選択した同士のチームを編成し、お互いで議論して次回までにテキストとプレゼンテーションをまとめ、それを最終回で発表し、その場で評価をつける。評価の軸は示してあるので、あとは偶然運命をともにすることになったチームメイトといかに作り上げるかである。
グループ作業になるとわかっていたら友達同士で同じ作品を選んだのに!とか、そもそも最終回の前に課題がだされるなんて卑怯だ!という向きもあろうが、これくらいのことは想定できる大人が社会に増えることを願ってのことだ。そして、決まり切った振る舞いに身をゆだねるのだけが合理的で賢明なこととは限らないと思えるように。
あの光景は誰のものか
- 2012-01-21 (土)
- essay
『ヒミズ』(監督:園子温/2012年)を見た。園子温というと国内外で話題となる作品をとり続けている監督だが、なかなかすべてを追うことはできないでいる。巧妙につくられた現実というより、演じられたドキュメンタリーのような生々しい演出に意識が集中できないことがあり、どこかで見るのをためらってしまうのかもしれない。今回の作品は、原作となっている漫画も寡聞にして知らなかったのだが、盟友・冨永昌敬監督が『パンドラの匣』(2009年)で見いだした染谷将太が出ているとあって、足を運んでみることにした。
まだ公開中の映画であるから、その批評はさておき(好き嫌いは別として興味がある方はとにかく見に行くのが良いだろう)、震災後に脚本を書き換え、台詞に震災のことが繰り返し出てきたり、津波の被害にあった宮城県内で撮影をされていたりしたことについて、地震にあった当事者として、やはり何かしら思うところがあったのは確かだ。しかし、完成後のインタビューや、おそらくは撮影の時点で多くの人から問われているような、あるいは、少なからぬ批判もあったであろう、「被災地にカメラを向けたこと」についての否定的なことは考えなかった。他方で、もし、あの場所で暮らしていた人や、家族を失った多くの人が見たとしたら正視できないのではないかとは思うし、自分にとっても地続きのことと感じられる以上、正直良い気持ちはしない場面も多かった。だが、それをもって、不謹慎だとか、あるいは逆に、倫理に対する芸術表現の優越を語る気にはならない。ニュースやドキュメンタリーでは十二分にカメラが向けられているのだから、もし問われるとしたら、本来造作されるべきセットとして被災地の風景を使ったと思われる場合、それが何らかの意味で問題はないのかということかもしれない。でも、そう書いてみると経済の問題になってしまう。
もう少し違うことのように思う。つまり、津波に破壊された街の光景は誰のものなのだろうか、あるいは、そもそもあの光景は誰かのものなのだろうか。たとえ住んでいた場所でなくとも、今日僕はあの光景が映画のなかにあること_セットやCGではなく実景として使われていること_に、どこか自分のものを侵されたような気持ちが芽生えた。きわめて具体的な作業として誰に撮影許可をとったのかと一瞬疑問に思い、その問い自体が奇妙にゆがんだものであるとまたすぐ思った。街そのものも、そして、大きな地震にあったという出来事も、僕は当然のこと、誰かが所有するものではない。そこまで分かっているのに感じる違和感に、物語の筋を追うのをふと忘れてしまったのだ。
阪神・淡路大震災から33年後の
- 2012-01-19 (木)
- essay
阪神・淡路大震災から17年というニュースをあちこちで見ながら、17年前を思い出し、16年後を想像しようとしてみた。正直なところ、17年前の思い出は少ない。大学1年生の終わりごろで、地元が近かったひとりの友人の心配をしていたくらいだった。ほかには親戚も知り合いもいなかったから、その彼が何事もなかったとわかったら、それはニュースの出来事でしかなくなったように思う。今回の地震のあとはさまざまな形であの地震を経験した人たちから手をさしのべられているのに、そんな薄情なことで申し訳ないと思う。でも、本当にそんな感じだった。20歳になる前の学生で、社会や街というものへのイメージが今ほどはできなかったのだろう。
しかし、今から16年後を想像しようとしても、ぼんやりとしかイメージできない。今から16年ということは自分は50代になり、子どもは高校生になっていて、阪神・淡路大震災からは30年と少し経つ、つまり、一世代ぶんほどの年月が経ったころである。そのときにこの街はどうなっているのか、それまで何をしていれば良いのか、形式的な計画書の文言ではなく、自分の姿をふくんだ映像として見えてこない気がする。そういう点では、あのころとあまりイメージする力は変わっていないのかもしれない。
震災がなければ育児休暇で完全に隠居するつもりでいたから、復興のために自分もできそうなことは結局ふたつしかしていない。ひとつはPROJECT FUKUSHIMA!。これは自分で動き出したと言うより友情の問題である。
もうひとつは、アーツエイド東北という、簡単に言えば草の根資金による文化基金。こちらは一人でもやろうとしたところ、多くの人の関わりによって動き出したことである。復興に関わるさまざまな動きから見ればとても小さな活動だし、一方で財団法人などという堅い組織にしたので本来僕のような人間が関われるようなことでもない。小さな子どもの世話をしながらなので瓦礫撤去にも行けないし、なにか事務的なことでできることがあるならと思ってはじめたことである。文化領域での被災者支援というのが目的と思われるが(そして、現時点では実際その通りだが)、考えついたときの目的はやや違う。それは、最初の1-2年は遠方からの寄付をもとに被災したアーティストを支援しつつ、5年くらいの間に地元で地元のアーティストを支える文化が根付くようにするというものだ。そのころには芸術文化にかぎらすそういう文化が根付いていて、より大きな器にまとまっているのが理想かもしれない。だから、地震がきっかけではあるが、ストレートに復旧・復興ではない。3月の地震のあと、毎日街なかを歩きながら何人かの人に話を聞きつつも大して役立てるようなことはない現実や、一方で職場であるメディアテークのなかの、さらに持ち場の中心でもあるシアターの被害が大きいと知られるや支援の申し出を方々からいただいたりしながらも何も返答できずにいる事態を見て、この街は文化を支えることを他者に預けすぎてきたのかもしれないと思ったのだ。そのほかにもたくさんのことを僕らは誰かに_行政やシステムというものに_預けすぎてきたのかもしれないとも思う。しかし、それを取り返すといった好戦的なものではなく、「支える」ということを本当に自分たちのこととして考えてみたときに、「支える−支えられる」ということがもっと混じり合っているほうが安全のような気がしたのだ。
僕のように今30代半ばの世代は、先ほど書いた通り阪神・淡路大震災による社会の変化を大人として見た最初の世代で、これから16年経ったときには次の世代にバトンタッチしつつある世代である。経験値としてはもっとも充実するはずの世代と言えるだろう。その自分たちがこれからをどうイメージするかは、結構大事なことのように思われる。もちろん、自然災害だけが社会の大きな経験ではないから、どんな世代にも近い未来をイメージすることは大事なことなのだが。