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往復書簡h/n_29

三浦寛也から小川直人へ

 

1月の書簡からマイノリティとして世界を見るとはどういうことなのか、考え続けているうちに4月になってしまった。日本に目をやると「アベノミクス」は取りあえず功を奏し、株価は上がり、円高脱却に向けて日本経済が動き出したという報道を聞いている。アメリカも、表面的には市場は回復しつつあるように見える。日銀主導で日本銀行券をたくさん刷ってデフレ脱却を目指す一方、政府はTPP参加や解雇規制をなくしていき(解雇しやすく、またはされやすくして)市場に流動化を持たせ、日本の産業に競争力をつけるというプラン。大規模な金融緩和は、アメリカがリーマンショック以降に行った方策と同じだけれど、解雇規制緩和は、さらに日本の経済をアメリカ化させる引き金になると思う。しかし、アメリカの企業では、社員の解雇がしやすいとはいっても、解雇をするための対応方法に規定がいろいろあり、人種的・性的・その他のマイノリティを解雇しようとする際には、差別を理由にした訴訟がおこることも多い。アメリカには日本の50倍の弁護士数がいるというのも、自分の身は自分で守らなければいけないという、必然が根底にある。ひとり一人の個人で社会を動かせないとしても、その個人の権利を守るために法律を作り、それをことあるごとに加味し、場合によっては定義し直す、ということを永遠に繰り返しているのがアメリカの社会なのかもしれない。ただ、アメリカよりもマイノリティが見えにくく、さらに抑圧される傾向にある日本の社会で、アメリカと同じような社会・経済構成をめざすと、 泣き寝入りしてしまう社会の弱者が増えて、その人たちを守る法律が追いつかないのではないか、と心配になる。士農工商で搾取されていたであろう江戸時代の農民たちが頭をかすめる。

ここで思い出すのがオバマ大統領である。才気あふれる希望に燃えた、中間層の味方であるオバマ候補、という2008年のイメージも嘘ではなかったはずなのだが、共和党議員との政局運営を先に進めるためなのか、彼の内閣と富裕層や大企業との間での、したたかな取り引きが見え隠れする。最近では H.R. 933(包括予算割当法)という農作物流通の規制緩和と生産者保護をうたった法案を通した。 日本でもTPP参加の問題で物議を醸している、遺伝子組み換え種子とそれに耐性を持つ除草剤をセットで販売し、バイオ化学メーカーとしてはで最大手のモンサント・カンパニーがこの法案によって庇護されるという懸念があり、アメリカでは25万人の人々がこの法案に反対の署名を集めていた。のにもかかわらず、である。メディアは一斉にモンサント保護法と皮肉ったのだが、トマトやレタスを見てもそれがなんだか分からない子供たちが事実たくさんいるアメリカという国で、原材料が分からない箱入りのTVディナーを、さらに大量生産しやすい経済状況が整えられているようだ。しかし、ミシェル・オバマ大統領夫人は小児肥満をなくすための運動に熱を入れ、ホワイトハウスの前に有機栽培の畑まで作っているというのに、彼らは家庭不和におちいらないのだろうか。

閑話休題。身近なところでは、大学で受け持っていた今学期の音楽理論のゼミを今週終えた。主に20世紀以降の音楽を扱う、10人ほどの小さいクラスだったのだが、珍しく今回は黒人の女子学生がひとり受講していた。アメリカでは作曲や音楽理論となると、圧倒的に男性の学生が多く、しかも黒人の女子学生となると、なかなかいない。学生たちの横のつながりが強く意見の交換も活発で、教えていて楽しかった。スティーブ・ライヒのピアノ・フェーズという、ミニマリスムのお手本のような曲を教えていたときに、課題でライヒ本人が書いた「Music as a Gradual Process」というエッセイを読んでもらったのだが、そこでライヒは「録音された音楽は常にすべてエスニック音楽だ。」と述べている。エスニックという言葉は(僕にとってその言葉は、昔小川くんと、仙台市役所前の公園で食べ比べたエスニカンとカラムーチョという袋菓子を思い出すのだが)、ethnosというギリシャ語の語幹から来ていて、民衆、さらには聖書のイスラエルの民以外の他の民衆=他人、と言う意味が含まれている。ライヒのコンテクストでは、すべての音楽は録音されることによって、ある種「異化」され、エスニック音楽になり得ると言っているわけだが、この意味を掘り下げると面白い。音楽という、伝統や歴史に裏打ちされた文化を、オシロスコープに写せる波形、あるいは0と1のデジタル信号にしてしまうことで、はじめて得られる自由。その黒人の女の子は、ライヒのこのくだりを読んだときに、「私は西洋のクラシック音楽の、対位法の絡みやコードの緊張と弛緩が、聞いていても正直よく分からない。でも、ライヒの音楽は聴いていて直感的に分かる。」と話してくれた。

情報のデジタル化にともなう供給過多は、正直言って何を信じて良いか分からない疑心暗鬼を生む一方で、情報のデジタル化が生み出した、社会や文化の公平性の可能性は、まだまだこれから見えてくるのかもしれない。

 

往復書簡h/n_28

小川直人から三浦寛也へ

気がついたら1月が終わっていた。メディアテークの仕事のかたわらで学生のようなことをしていて、ちょうどその課題が佳境に入っているということもあるが、ほかにもいろいろはじめることになりそうなのだ。日々成長する子どもに触発されているのかもしれない。

しかし、このところ「成長」という言葉は空虚な響きでもある。「絆」も「分断」も、あるいは「アート」も、震災後繰り返し意味を問われた言葉は大抵が空虚な響きになってしまった。日本では政治家の発言(政治家そのものが)が軽くなったとしばらく言われているような気がするが、政治家が言葉と言外にあるものを操る仕事の代表格だとすれば、彼らが言葉を痩せ細らせているのだろうか。

「アベノミクス」という造語も誰かがつくったものであることは間違いないが、レーガノミクスを彷彿とさせるこの陳腐な言葉は、阿部首相本人以外からしか発せられないというところに絶望的な軽薄さがあるように思う。国を動かす言葉が、その音の一部である本人が発するには(おそらく)恥ずかしいと思われるものであること。

昨年末の衆議院選挙で自民党が圧勝する過程で、僕の知る範囲では日本でのtwitterなどは選挙結果への呪詛であふれていた。それは2011年の東京都知事選でも同じだった。震災を天罰と語る石原都知事が開票数分で当確となったときのネット上の絶望感は、否応なく我々の世代/ネットを使う世代が国家や社会を動かすという意味ではマイノリティであることを自覚させた。あるいは、マイノリティである以上は、一人ひとりの個人で何かが動かせるというのは幻想だということを知ったはずなのだと思う。 もはや「投票に行った」だけでは現状は変えられない。自分+誰かを動かすくらいでないと社会は動かないなとはっきり思うようになったということか。個人を100%尊重する考えでは実は社会はまわらない。比較的明確できれいな話としては将来の子どものためだったり、もっと生々しく言うなら「生きるというのは自分のこと以外の要因のほうがはるかに多い」という諦念みたいなことの上に考えないと、小選挙区制、二大政党による国家運営という考えの制度のなかでは組織票には太刀打ちできないのではないだろうか。 自民党を押した人たちにも、ひとつの正論に加えてそのための行動があったからの結果であって、論の正しさは別としても、どこまでも「私」から離れようとしない個人主義よりはまだある意味で社会のことを考えているのかもしれないと思った。そういう意味では今の日本の政治状況に感じるのは敗北感のようなもので、敗北感というのはその場面の当事者の証左でもあろう。苦笑せざるを得ないが、今頃やっと社会の一員になったのか。

政治について人々が無関心でいられることが、その国の安定度合いを計る目安となるのは今でも有効だとすれば、今の日本はどう見えるのだろう。関心がある人たちが増えているけれど、それが顕在化しないということだろうか。もはやそれでは圧政の国と変わらないのではないか。

政治について考えるとどうしても気難しく、それでいてどこからか足もとがおぼつかない思考になってしまうような気がする。今からどこかの党員になったり、よもや政治家になろうとも思わないけれど、僕らなりに政治について考えるにはどんなことが可能なのだろう。

往復書簡h/n_27

三浦寛也から小川直人へ

こちらは元旦だ。

2012年は、ばたばたと音をたてて過ぎていった。

2011年は、東日本大震災の余韻と余震のなかで終始したとすれば、2012年はさして何も解決しないままに、アメリカも日本も空回りする政治の目立つ1年だった。とこれを書きながら、アメリカ下院では、財政の崖を回避するための法案の審議と投票が進められている最中だ。

11月アメリカの大統領選挙では、自分の周りにミット・ロムニーを支持する人は一人もいないという状況だったのだが、大手メディアのニュースからは、オバマが負けるのではないかという雰囲気がしばらく続いていた。 下がらない失業率とくすぶり続ける中東問題、さらには公約であったはずの環境政策推進とグアンタナモ収容所閉鎖など、未解決な問題が山積したオバマには、 変革を掲げた斬新なキャンペーンでアメリカを熱狂させた4年前の見る影はなかった。現職大統領に右派共和党支持者のみならず、もっともリベラルな左派に属する層からも厳しい批判の目が向けられていて、どう見てもあまり取り柄のないロムニーに、勢いがつき始めていた。最終的にオバマは再選を果たし、選挙人制度から見ると彼の快勝にみえるのだが、全国の得票数(popular vote)では、両者のマージンが4パーセントに満たないという僅差で、分裂したアメリカを象徴する結果だったと思う。しかし、1976年からの大統領選を見ると、84年のレーガンの大勝を例外とすると、共和党と民主党のひと桁マージンが現在までずっと続いているわけで、今に始まったことではないらしい。あるアメリカ人の友人と話をしていたら、国が広大すぎるから、まとまらないのが当たり前ではないかという。彼女はテレビドラマや映画のプロデューサーをしていて、数世代続くニューヨークのユダヤ人家系の出自。その彼女いわく、「モンタナで鹿を狩って生活をしている人が、ニューヨークの私たちみたいな都市生活者に、同じ国民としての絆を感じることは、無理なんじゃない?」と。

震災後、 絆という言葉が持ち上げられたり下げられたりしたことを思い出しながら、僕はその話を聞いていた。日本でも似たようなが起こっているのかもしれない。確かに単一民族国家という幻想の上で、天皇を家長とする日本国民すべてが家族であるかのような「絆」が明治に作られ、戦後も、なんとなくゆるい形で、「一億総中流」という言葉に代表されるような横並びな日本人観が保たれてきた。しかし、資本主義と共に育まれた個人主義の行く末には、国民を結ぶ絆という言葉は正直言ってはばったく、重荷にさえ感じられるだろうし、結局のところ近代国家という、無理にまとめ上げられたコンセプトのほころびとなって見えてきている気がする。福島や沖縄の問題を、絆という言葉だけで解決できるわけではないように、今回の日本の選挙を見ていて、投票率が低いのも、右がかった政治家に少し人気が集まるのも、ほころびが大きくなっていくことに対する無力感や、そのほころびを無理にでも繕おうとする焦りという二極化に見える。

今年3月のコンサートで、ベンジャミン・ブリテンの「イリュミナシオン」というテナーとオーケストラの曲の指揮をする。まだ20代半ばのブリテンは、ランボーがロンドン滞在中に書いたこの未完の詩集から数編抜粋し、エネルギッシュな音づけをしながら、実に視覚的な音楽を作っている。その詩集の中で、ランボーはこんなことを書いている。

都市計画から同様、家々の家具と外観からもありふれた趣味はすべて回避されているので現代的と信じられている都市の、私はたいして不満のない蜻蛉のような束の間の市民である。ここでは、君たちはいかなる迷信の記念建造物の形跡を指し示すこともできない。道徳も言語もとうとう最も単純な表現に還元された!この互いに知合う必要のない数百万の人々は、同じように教育を受け、職業に就き、老年を過ごすので、その人生は、ある気違いじみた統計が大陸の諸国民に関して見出した人生の何倍か短いに違いない。このようにして、窓から、濃い永遠の石炭の煙の中を新しい幽霊が渡り歩くのを見るのだ。(イリュミナシオン−「都市」より–門司邦夫訳)

1886年、モダニズムが産声をあげて間もないロンドンの空気を肌に感じながら、ランボーはこれを書き、21歳の若さで詩作を放棄してしまう。若き天才は21世紀をも見越してしまって、もう書くことが馬鹿馬鹿しくなったのだろうか。

ランボーもブリテンもゲイだった。僕の回りでしぶとく、しかし実に愛すべく生きている友達にもゲイやユダヤ人が多い。こんなことを書くと偏見に満ちているように思われるけれど、早くからマイノリティとして生きることを強いられた人たちには、未来が見えるのかもしれない。

とりあえず、Happy New Year!

往復書簡h/n_26

小川直人>>三浦寛也

遅ればせながら僕も「プロメテウス」を見た。皮肉にも「エイリアン」シリーズとは何の関係もないと割り切って見たら興味深い作品ではあったような気がする。人類の誕生をめぐる悲劇であるよりも、人とは何か?という問いをさまざまな人間的なる者たちを配することで描こうとしていると思えたから。古代の神や、特殊な延命を施しているのであろう老人、さまざまな思惑を持った乗組員たち、最良のインターフェイスとして人の姿を与えられたロボットを描くことで、結局のところエイリアンの存在がおまけのようになってしまい、それが「エイリアン」の前日譚として位置づけるには致命的な欠陥になってしまったのではないだろうか。

僕にとってもっとも興味深い登場人物は、あのロボット(デヴィッド)だったからね。感情を持たないロボットが、好んで映画のセリフを口にするあたりは、切ないとともに、どこか共感せざるを得ない。たとえ人間であっても、より人間らしくあるためにはフィクションから学ばなければならない。

「真実は小説より奇なり」「映画のような出来事」というよりも、我々の現実はそもそもほとんどフィクションのようなものなのかもしれない。確かなものなどなにもなく、常識と経験の積み重ねによってかろうじて支えられている世界。誰かが作り出したという点においてまだフィクションのほうが確からしさを備えているとするならば、おぼろげな現実を支えるひとつの道具としては有効だろう。

それでも現実のほうにも一理あるように思えるのは、現実には偶然があるからだ。理由の見当たらない、それでいて自分に突き刺さってくる出来事。

先日、仕事で沖縄に行く機会があり、ついでに勧められた街はずれの美術書専門の古書店を訪ねた。店主に話しかけたら思いのほか共通に知っている人が多いことに驚き、さらに、小さな店の一角に少しだけあった小説の棚から、池澤夏樹の『夏の朝の成層圏』の初版を見つけた。子どものときから繰り返し読んでいる本だけれども、こんなときにこんな場所で出会う偶然に敬意を表して買い求め、帰りの飛行機のなかで読んでみた。当たり前のように、重要な示唆があった。

沖縄の地は何かしら僕の人生のなかで重要な起点になっているのだろうか。

育児休業ふりかえり(6):ひとりになること

子育てに関する雑誌などを読んでいると、「時々はママも育児から解放されて一息つきましょう」といったことがしばしば書いてある。たしかに、たとえば身近に親戚もおらず、友人達は仕事で平日昼間に会うことはかなわず、四六時中子どもと二人きりでいるしかなかったのなら、「解放」という言葉がふさわしいのだろう。しかし、実際のところ自分自身ではそんなことはあまり考えない一年だった。震災のこともあり、幸か不幸か仕事のようなもので外出することもよくあったからかもしれない。振り返ってみると非常識と言われても仕方ないくらいどこにでも子どもを連れて出かけた。また、妻がいれば子どもは妻のほうにべったりしているので、適度に気張らしができていたということもある。子どもから見れば僕は昼間の担当の人というくらい。最近でも食事が終わると皿を積んで渡す相手は僕だ。

とはいえ、子どもと一緒のため諦めざるを得ないことももちろんあった。ひとつには、自転車に乗る機会だ。これは以前も書いた通り、自分にとっては長らく移動手段であり運動の機会でもあったため、すっかり体がなまってしまったように思う。もうひとつには、映画館や劇場に行くこと。業務上の理由で見ることもなくなっているので、いわば趣味程度に足を運べば良い一年だったけれども、こういうことは習慣の問題でもあるので、一度途絶えてしまうといっそう腰が重くなるものである。それでも、夕食をとった後に一人で映画館に行くことは時々あり、妻からは文字通り「育児から解放されて一息」と言われて送り出されるのだったが、そう言われるとやや心外な気持ちになったりもした。ひとりで清々しているわけではなく、一緒に連れて行っても良いのなら映画館だろうが夜中だろうが連れて行くのだ、と。

夏が終わるころまで、子どもは午前と午後に昼寝をしていたので、その前後に子どもと散歩をしたり家事をしたりしながら、昼寝時にパソコンに向かったり本を読んだりはできていた。一日の組み立てがほぼ1時間単位でできると学校の時間割のようなもので、存外規則正しく暮らしていたように思う。しかし、昼寝が午後だけになってくるころからそれは少し難しくなった。日によっては昼寝の時間が大幅にずれるので予定が組みにくくなったののと、抱っこしていてもなかなか一人で眠らないので添い寝をするようになり、するとうっかり自分も眠ってしまい、日中の一人時間を失ってしまうことがしばしばあったからだ。しかし、子どもと眠る心地よさはわずかばかりの一人の時間と引き替えにしてもあまりあるものだとも思った。

そもそも、2歳になる前あたりまでは、子どもが一人の人間であるかどうかなんとなく曖昧だったような気がする。言葉を発しないということはその存在が人であるかどうかと認識する意味で大きな問題なのだろうか。たとえば、3月の震災からしばらく、家で子どもと二人きりでいると、家族や故郷をなくした人のことや、自分の思い出の場所が消えたことを考えては涙を流したものだが、そんなときも子どもは無邪気に笑っていて、自分と関わりなく存在するものを身近に感じられるのは大きな救いだと思った(自分がいなくても世界が成り立つという安定感)。それが、2歳を迎えるころから何か言葉を発するようになると、たしかに誰かといるような気がしきて、そんなことはできなくなった。そういう意味では、この1年は曖昧な一人と二人の間を過ごしたとも言えるだろう。

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